人生のB面(ネガティブな面や弱い面)にも光を当てる「メンタルモデル的な自己紹介」、前編に続く後編では、幼少期の体験が僕自身の性格や価値観とどうつながるのか、考察を深めていきます。
※「メンタルモデルって何?」という方は↓の記事をご覧ください。

幼少期の体験と僕の価値観などとの「つながり」を図にまとめると、以下のようになります(一番右の列が後編の内容です)。

①世界は優しいが、②一瞬で嵐に飲み込まれる

①世界はやさしい
「世界は基本的に優しいものだ」というメッセージは、僕の「世界の捉え方」を決定づけました。
もちろん、現実世界では辛いことや恐ろしいことがたくさん起こりますが、心の底では、僕は世界の「優しさ」に対する肯定的なイメージを持っています。
そしてそれは、「世界は優しい場所であるべきだ(優しい場所でなくてはならない)」という信念につながりました。
僕の心の中心には「世界が調和のとれた、平和な状態になってほしい(なるべきだ)」という思いがあり、それに自分が少しでも貢献したいという気持ちがあります。
②平和は一瞬で怒りの嵐に巻き込まれる
一方で、「平和は一瞬で怒りの嵐に巻き込まれる」というメッセージは、怒っている人への恐怖として、僕の人生を苦しめてきました。
中学、高校、大学、社会人、どの時期を振り返っても、僕はいつも「怒っている人」にビビり続けていました。(部活動やサークルの先輩・コーチ、仕事の上司など…)
特に年上の男性が怒る姿を目にすると、頭の中が一瞬でパニック状態になります。
その結果、その人達の怒りの刃が自分に向けられることを極端に恐れ、それを避けるためにビクビクと萎縮しながら生きてきました。
(人生において「調子悪いなー」という時は、だいたい「怒られないこと」が至上命題になってしまっていた時期でした)
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以上のように、幼少期に、一方では世界の優しさを感じ、他方では周りの世界が荒れ狂う様も目にした僕は、自分が安心して自分でいられる世界、すなわち何にも怯えなくてよい世界を作りたいと考えたのだと思います。
このことから僕は、
「平穏と調和のある世界になってほしい。世界に貢献したい。」という価値観を持つに至りました。
③内的な世界を探求したい

幼少期に自分を助けてくれた内的世界への空想や想像の旅の経験は、明確に、僕が人生をかけてやりたいことにつながっています。
高校生の頃から僕はなぜか、「神様っているのかな?」「そもそも『いる(存在する)』ってどういうことだろう?」というようなことを自分なりに考えていました。
その興味は思想や哲学への興味となり、大学は哲学を勉強できる学部に入りました。
今ではもっと興味対象が広がり、哲学だけでなく歴史や文化人類学など人文学・リベラルアーツ全体を探求していきたい気持ちで溢れています。
また、心理学やメンタルモデル、そしてコーチングをもっともっと探求していきたいという人生をかけた思いも、幼少期に内的な世界に浸った体験から来ているものです。
④仲間に入れてもらいたい、⑤注目されたい

幼少期に感じていた「兄たちの遊びに入れてもらいたい」という思いや、褒められ注目される喜びという2つの要素は、
「もっとスゴい人たちの仲間に入れてもらいたい」
「もっと価値を出せる人間になりたい」
「もっと社会に必要とされたい」
という欲求となって、小さい頃から僕の行動に大きな影響を与えてきました。
この欲求には2つの側面があります。
一方では成長意欲・上昇志向につながる感情として、社会的に評価される行動や結果をもたらしてくれました。(高校時代の部活動・受験勉強、大学時代の社会的な活動、本の出版、司法試験の勉強、弁護士としての仕事、ベンチャー企業への転職と努力など)
他方で、このことは僕が、「人より優れた成果を残さないと自分は【価値がない人間】として生涯を終える」という世界の見方を持っていることも意味しています。
「自分が価値のない人間として終わることが怖い」
「価値ある人間にならないと、『仲間』に入れてもらえない」
「自分が価値のない人間として他人からしょぼいと思われたりバカにされたくない」
僕が社会的に評価される行動・結果を目指して続けてきた努力の裏側には、このような感情がありました。
僕は常に、社会で活躍している「自分より価値ある(ように見える)人」に憧れ、その人達と自分を比較し、「自分はどうしてこんなに価値のない人間なんだ」という心の声に絶望し続けてきました。(本当に、高校生の頃くらいから最近まで、ずっと絶望の中にいました)
メンタルモデルのグループ分けでいうところの典型的な「価値なしモデル」ですね(笑)
「今のままの自分では価値がない」という恐怖心が、よくも悪くも、これまでの僕の人生を駆動するエンジンとなってきたということです。
ただ、僕の場合はコーチングとの出会いにより、ようやく最近は、この「価値なしモデル」の泥沼からほぼ抜け出すことができました。
(もちろん、今でもこのメンタルモデルが顔を出し自分を引っ張っていってしまうことはたまにありますが…)

まとめ
僕の性格と価値観の最も奥底にあるのは、
①世界は優しいという世界観
②怒りによって世界は一瞬で嵐に巻き込まれるという恐怖心
の2つです。
ここから、「平穏と調和のある世界になってほしい。世界に貢献したい。」という信念が生まれました。
そして、そんな世界を生き抜くために自分の拠り所になってきたのは、
③内的世界への探究心
でした。今後も、リベラルアーツという途方もなく広い領域を、探究心に正直に歩き回ってみたいと思います。
また、幼少期の④仲間に入れてもらいたい、⑤もっと注目されたいという感情は、相まって
・「成長意欲・上昇志向→社会的に評価される行動や結果」というポジティブな側面
・「価値がない自分への恐怖心」というネガティブな側面
という2つの側面につながっていきました。
以上が、メンタルモデル的な観点から見た僕自身の自己紹介です。
最後に:本当のメンタルモデルって?
今回、自分の弱いところやネガティブな原体験も含めて自己開示したいなと思い、メンタルモデルの要素を盛り込んで自己紹介を書いてみました。
とはいえ、前編・後編で書いてきたことが「僕のメンタルモデルそのものか?」と問われると、必ずしもそうとは言い切れません。
本当のメンタルモデルは、この記事にはおさまりきらないくらいもっと繊細で、もろく美しいものだからです。
どんな人でも、その人にはその人だけの、メンタルモデルがあります。
そしてそのメンタルモデルを自分でしっかりと認識し、受容することで、自分らしい人生を自身を持って歩み始めるきっかけにすることができます。
いやー、奥深いですね。もっともっと探求を深めていきたいと思います(笑)
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