【長女について】難病の子を持つということ(後編)

がっつり自己紹介

長女について(前編)では、
・そもそもレット症候群とは
・レット症候群とわかるまで
という内容について書きました。(前編で書き忘れていましたが、長女はいま6歳です)

今回はその続きです!

病気がわかった時の気持ちは「ホッとした」

我が子がレット症候群と診断された時の気持ちを思い出すと、夫婦ともども
「ホッとした」
というのが正直な感想でした。

「原因がわからない、私達のせいかも」という不安からやっと解放され、前を向いて歩いていける気がしました。
そして、この病名の由来にもなっているレット博士という医師の言葉も胸に響きました。

【レット博士の講演】

この病気は生後6~8カ月の頃に多くの症状が現れます。それ以前は通常と同じに育つわけです。妊娠・出産ともに正常であり、昔さんはとても幸せに感じた ことでしょう。しかし、運動発達に多少の差はありますが、やがて歩くことが出来なくな ったり、座ることが出来なくなったり、口へ両手を持っていったり等々の動作が出てきま す。

・・・この病気には、たくさんの問題があります。この病気の子供たちはとても素晴らしく、 とても可愛らしいのです。それ故、愛することはたやすいことです。他の障害の子供たちは外見でもそれと分かりますが、レッ卜症候群の子供たちは、外見からは健常児と同じようですし、可愛いのです。他の病気でこのように可愛い顔の子供たちを見たことがありま せん。私の観察によると、たくさんの国、たくさんの子供たちのなかで、このように素晴らしい眼、大きくて丸い眼、輝いている眼、感情的表現をする眼を見たことはありません。 子供たちは話すことは出来ません。しかし子供の眼はどんな意味を持っているか、どう感じているか、何を見たか等を語ります。ものを見るための、眼の光学的働き、システム間 の繋がりも全て正常です。子供たちは眼が見える、耳が聴こえると思って間違いありません。

しかしこの病気は眼で見ること以外、外界からの刺激に対して反応することが出来ないのです。問題は健常児のように明らかに素早く反応しないことです。あなた方は子供の眼の反応、相手の眼を見て、光を追いかけ、人を追いかける等の反応に気付くでしょう。思った以上の、素敵な眼を持っていることに納得せざるを得ないでしょう。この部屋に誰がいるか、兄弟が側にいるかといったことを、見ることは出来ても、話すことは出来ません。

レット症候群という診断が下るまで、僕は心のどこかで、長女が普通の子と比べて「できないこと」に注目して「いつできるようになるかな…」と思っていた気がします。

でもこの難病のことを知ってからは、「こんな特徴をもっている彼女の人生をいかに幸せな時間で満たすか」が関心事になりました。

長女は言葉による意思疎通はできませんが、幸い、表情で「いま幸せを感じているか」はわかります。

他の子との比較ではなく、彼女の絶対評価において少しでも幸せな時間を増やしてあげることに集中すると、不思議なことに、能力の観点で「普通の子との差」はあまり気にならなくなりました。

立位台に挑戦中

子供は親を選んで生まれてくる

また、長女がレット症候群と診断されて、「子どもは親を選んで産まれてくる」という考え方に不思議と納得するようになりました 。

僕は助産院で産まれたのですが、両親が尊敬していた助産師さんの影響があってか、僕も「赤ちゃんは自分の親を選び、一番良いタイミングで産まれてくる」と昔からなんとなく思ってきました。

そして最近、『ママ、生まれる前から大好きだよ!』という本と「胎内記憶」という考え方を知り、我が子を見て改めて「確かになー」と感じたのです。

初めての子どもがたまたま障がいを持って産まれてきたと考えると、「何でよりによってうちの子が…」と、ちょっと悲しくなりがちです。

でも、信頼しきった表情で親の顔を見つめる長女の目を見ていると、彼女が意志を持って僕たち夫婦を選んでくれたとしか思えなくなってきました(笑)

もしかしたら一生歩けない、喋れないかもしれない長女は、それでも自分を一番かわいがってくれそうだったのが僕たちだったので、選んでくれたのかもしれません。
なんなら彼女は、自分を支えてくれる頼れる人間として、誰よりも元気でたくましく育っている弟たちを僕たち夫婦に呼び寄せたような気もしています。

彼女はきっと、レット症候群という「ギフト(贈り物)」を持って僕たち夫婦のもとを訪れてくれたんですね。

子どもが親を選ぶというのが科学的に正しいかどうかは、問題ではありません。
僕たちにとっては、そう考えたほうが少しうれしく思えるのでした。

『オランダへ、ようこそ』:障害を持つ子の子育て

最後に、有名な『オランダへ、ようこそ』という詩を紹介させてください。

作者はアメリカの作家であるエミリー・パール・キングスレイ。彼女自身、ダウン症の子がいるそうです。

生涯を持つ子の親の気持ちの一端が表れている素敵な詩です。

『オランダへようこそ』
作:エミリー・パール・キングスリー/ 訳:伊波貴美子

私はよく障害を持つ子供を育てるって、
どんな感じか聞かれることがあります。
障害児を育てるというユニークな体験をしたことがない人が、
理解して想像できるようにこんな話しをします。

出産の準備をするというのは、
すてきな旅行の計画をすることに似ています。
例えば、イタリアへの旅。
旅行ガイドを数冊買い込み、現地での行動を計画します。
ローマのコロシアム、
ミケランジェロのダビデ像、
ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語を覚えるかも知れません。
とても、わくわくします。

そして、何ヶ月も待ちに待ったその日がやってきます。
あなたはカバンを持って、いよいよ出発します。
数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸します。
スチュワーデスが来て、
「オランダへようこそ。」と言います。

「オランダですって?」
と、あなたは驚きます。
「オランダってどういうこと?私はイタリアへ行くはずだったのよ!
ずっと前からの夢だったのよ!」
しかし、飛行計画が変更になり、オランダへ着陸したのです。
あなたはそこに残らなければなりません。

ここで考えて欲しいのは、
あなたは、不快で汚くて、伝染病、飢饉や病に侵された
ひどい場所に連れてこられた訳ではないという事です。
ただ、ちょっと違う場所であるという事です。

そこであなたは、
新しい旅行ガイドを買わなければなりません。
そして、
全く違う言葉を覚えなければならないのです。
また、
今まで会ったことのない人々に出会うことになります。

ちょっとだけ違う場所へ来てたのです。
イタリアに比べて、時はゆっくりと過ぎていき、
イタリアのような華やかさはありません。
でも、しばらくここにいて
息を深く吸ってみると、
周りをみわたすと・・・・・
オランダには風車があることに気がつきます。
チューリップも。
オランダにはレンブラントもあります。

あなたの知人たちは、イタリアへ行ったり来たりして、
とても楽しい時間を過ごしたと自慢します。
あなたは残りの人生、こういい続けるでしょう。
「私もイタリアへ行くはずだったの。そのつもりだったの。」

イタリアへ行けなかった痛みは癒えることはないでしょう。
失った夢はあまりにも大きすぎるのです。

しかし、
いつまでもイタリアに行けなかったことを悔やんでいると、
オランダのすばらしさや美しさを、
楽しむことは出来ないでしょう。

引用: http://tsuyopon.boo.jp/hanashi/hanasi5.html

最後に:長女が教えてくれたこと

長くなりましたが、長女のお陰で、言葉がなくても心を通わせることができることや、歩けなくても家族の楽しい思い出を作れることを知りました。

僕たちが彼女にできることは多くはありませんが、もっとたくさんの人に一緒に会いに行って、色んな体験をさせたいなと思っています。

そして彼女をしっかり支えることができる人間になるよう、(今はただの悪ガキな)弟たちをビシバシ鍛えていきたいと思います!(笑)

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