少し前ですが、コテンラジオ「障害の歴史」が終わりました。
(僕はこのテーマの調査・台本作りには関わっていないので、あくまで1リスナーとして聞いていました。)
前にも書きましたが、我が家には障害をもった長女がいます。
今回は、「障害のある子を持つ親」とただの「哲学好き」という2つの立場から、コテンラジオ「障害の歴史」の感想を書いてみます。
「有用性」という網の目 byヘーゲル
まず、障害の歴史を通して聞いて頭の中に浮かんだキーワードは「有用性」というものでした。
近代哲学の完成者と称されるヘーゲルは、近代は「有用性」によって人と人とがつながる時代であるといいます。
有用性とは「誰かの役に立つこと」。
ヘーゲルは近代以降の世界において、ありとあらゆるものはそれ自体で存在する自立的なものではなく、誰かのために「役立つもの」という性格を帯びると指摘します。
山はただ「山」として存在するのではなく、鉱物を産出するモノとして人間の前に現われます。
魚はただ「魚」として生きているのではなく、食べ物として人間の前に現われます。
このように、世界中のありとあらゆるものが「人間の生活をいかによりよいものにしてくれるか」という観点で評価されるのが近代以降の世界です。
そしてこの「有用性」のモノサシは、自然物や動物に対してだけではなく、私たち「人間」ひとりひとりに対しても向けられるのが近代の特徴です。
上司から毎年言い渡される人事評価は、「あなたは会社にとってこれだけ便利な存在でした」という有用性の証です。
SNSでもらういいねやフォロワー数も、場合によってはその人の有用性を示す要素かもしれません。
現代に生きる私たちも、この「有用性」という網の目から逃れることはできません。

幸福の定義 byアリストテレス
せっかくなので、このテーマを考えるにあたりもうひとり有名な哲学者に登場してもらいましょう。
近代哲学の代表者がヘーゲルなら、古代ギリシアの代表は何といってもアリストテレスです。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、人間の幸福は「自らに課せられた機能を十全に果たすこと」にあると語っています。
これを現代風にいうと、「自己本来のはたらきを最大限発揮することで、人は幸せになれる」という感じでしょうか。
人にはそれぞれ個性がある。
その人の個性を十分に発揮し、その可能性を最大化することが自己実現につながるという意味で、現代人にとっても頷ける主張だと思います。
しかし気をつけなくてはいけないのは、近代的な価値観にどっぷりと浸かった私たちは、気づかぬうちに、アリストテレスの「幸福」の考え方とヘーゲル的な「有用性」を結びつけてしまいがちであるということです。
両者を結びつけてしまう人は、こう考えます。
「私は自分の強みを発揮して、人や社会の役に立つ存在にならなければならない」
自己実現と有用性という価値観が結びつくと、このようなある種の強迫観念に行き着きます。
そして、この観念の背景には「誰にも役に立たない人間には価値がない」という前提(=思い込み)があるのではないでしょうか。

今回のコテンラジオを聞いた時に、障害の歴史とそのような思い込みは無関係ではないと感じました。
そしてこのような観点からすると、生涯を通して社会に「価値」を提供することはできない我が家の長女は「有用性」はゼロ、つまり無価値な存在ということになりそうです。
「魚は泳げ、鳥は翔べ」
果たして、本当にそうなのでしょうか。
もう一度、古代ギリシアの哲学者、アリストテレスまでさかのぼって考えてみましょう。
あまり知られていないですが、アリストテレスは生物学を非常に熱心に研究し、そこから多くの哲学的な洞察を得た人です。
(アリストテレス全集にはウニの生殖の話とかウシの心臓の話とか、色々出てきておもしろいです)
アリストテレスが述べた「自らに課せられた機能を十全に果たす」とは、必ずしも人間に限った話ではなく、ましては近代的な有用性と結びつくものではありませんでした。
魚が自らの機能を十全に発揮するとは、水の中をスイスイと泳ぎ回る状態をいいます。
鳥の場合には、翼を使って自由に大空を飛び回っている状態がそれにあたるでしょう。
海を泳ぎ回り、空に大きな弧を描く彼らは、「誰かの役に立つ」ためにそれをしているのではありません。
ただ、彼らに与えられた機能を十全に生かしているという状態そのものが、かれらにとって善であり、幸福であるということです。
「魚は泳げ、鳥は翔べ」
これは僕の解釈ですが、アリストテレスが言いたかったのはそういうことなのではないかと思います。

障害者にとっての幸福とは?
翻って、人間にとって、そして障害をもつ我が子にとっての幸福とは何でしょうか。
それは果たして、他人にとって便利で役立つ存在になるということなのでしょうか。
そのような「有用性」の中でしか、私たちは、そして彼女は幸せになれないのでしょうか。
もしアリストテレスに尋ねることができるとしたら、「そんなわけねぇだろう!」という答えが返ってきそうです。
「有用性」というメガネを外して、他人を、そして自分を見てみると、また新しい発見がありそうだなと思います。
コテンラジオを聞いて、そんなことを考えました。
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