【考察】「新しい資本主義」を理解するための2つの方向性

リベラルアーツ

①資本主義の「次」か、②「健全な資本主義」か

岸田首相から「新しい資本主義」という方針が発表されてから、資本主義のあるべき姿に関して様々な議論が交わされています。

この方針に対する評価はさておき、僕たちが日々、その中で生き、戦い、恩恵を受け、疑問視し、時に嫌悪する対象である「資本主義」が今日、多くの課題を抱えていること自体は疑いえないことでしょう。

現代人が直面する資本主義の課題に対しては議論百出の状況ですが、すごくざっくりと分けると、

①これまでの資本主義は行き詰まっているから、資本主義の「次」を検討しよう

と考えるか、

資本主義がまだ真の姿で実現されていないことが原因で課題が生じているのだから、「健全な資本主義」を早く実現しよう

と考えるかが、大きな分岐点となる気がします。

①の考え方は文字通り、ポスト資本主義や脱資本主義・脱成長という考え方につながります。
ディテールはさておき、大枠としては『人新世の資本主義』を著した斎藤幸平さんはこの思想の代表格といえるでしょう。

②の考え方は「まだ発揮されていない資本主義のポテンシャル」を信じる思想で、 資本主義の真の姿の発現を阻んでいる障壁(岩盤規制や業界団体の癒着など)を取り除くことを志向することになります。

朝倉さんのこちらのツイートは、まさにこの考え方を端的に表しています。

2つの方向性が生まれる背景

では、上述した①と②の立場の違いは、根本的にはどのような違いから生じるものなのでしょうか。日本の状況に絞って考察してみると、

・貧困や環境問題など、現代が抱えるあらゆる問題に素朴に心を痛めたり強い課題意識を持っている人たちは、(現代において社会主義・共産主義を支持することは難しいので)社会主義・共産主義に代わるものを探す意味合いで①の主張につながりやすい

ということがいえます。一方、

・これまで日本の経済界・金融界で新しい取り組みをしようとしてきた人たちは、日本の岩盤規制によってイノベーションが阻害される局面に直面することが多かったので②の考え方を持ちやすい

といえそうです。

19世紀から今まで、人類は
保守vs革新、右派vs左派、資本主義 vs共産主義、自由主義vs社会主義
といったイデオロギーの対立をずっと続けてきました。

上述した①と②の考え方の対立は、そのようなイデオロギー対立の令和時代における変形バージョンと評価できるかと思います。

ちなみに、日本を念頭においた本ではありませんが、自由市場や資本主義のポテンシャルを強く信じる『セイヴィング・キャピタリズム』という本は、明確に②の立場をとっています。
(この本では、現代人が直面する資本主義の課題は公正な自由市場を歪める「既得権者」の働きが最大の原因であり、それによる歪みを打破することで、資本主義が人類にもっと貢献するよう機能するという主張がされています。)

どちらの方向性を重視すべきか

改めて2つの立場を確認しておくと、

①これまでの資本主義は行き詰まっているから、資本主義の「次」を検討しよう

②資本主義がまだ真の姿で実現されていないことが原因で課題が生じているのだから、「健全な資本主義」を早く実現しよう

という意見の対立です。

このような二項対立を提示されると「じゃあ、どちらの意見が正しいのだろう」と考えたくなりますが、一般論としての「正しさ」を考えるとまさにイデオロギー対立になってしまい明確な答えは出せないことに気づきます

そこで、替わりに「現代の日本において、①と②のどちらの方向性が重視されるべきなのか」という問いを考えてみたいと思います。

個人的には、短期的には前述の朝倉さんのご指摘はごもっともで、日本の資本主義をより健全に機能させるためにできることはまだたくさんあると考えます。

一方で、未来を50年、100年単位で見た時はどうでしょうか。

不必要な規制をなくして日本でも資本主義の真価が発揮されるような社会が作れたと仮定して、果たしてそれで「万事解決か」というと、決してそうではないでしょう。
それで人類が直面している種々の課題に対して「なんとかなっている」未来が思い描けるかというと、到底難しいのではという印象です。

そうすると僕自身の考え方としては、
・短期的には①の必要性はとても感じている
・ただし中長期の視点では、人類全体が直面する資本主義の課題から日本だけが逃れることはできないので、②の方向性は遅かれ早かれ必要になる

というのが今の所の意見です。

この点は違った見方もたくさんあると思うので、ぜひ皆さんのご意見もお聞きしたいところです。

大事なことはモノサシの獲得

実は、この記事を書いてみようかなと思ったのは、上述の僕の意見を書きたかったからではありません。

今回の論点について僕が重要だと考えたのは、
「新しい資本主義」を巡る様々な意見は、究極的には①と②のどちらかのスタンスに整理できる
この思考方法は、多種多様な意見を「見通しを持って俯瞰するためのモノサシとして有益である
という点です。

資本主義の課題を考える議論は、真剣にしようとすればするほど、当然のことながら複雑になります。

様々な識者の見解を理解する際に、「論者の立場が究極的には①なのか②なのか」を見極める視点を持つことは、議論の見通しを立てる上で非常に有用です。

僕自身も、このモノサシをもって様々な意見を俯瞰し、より確信を持てる自分の意見を固めていきたいと思います。

まとめ

「新しい資本主義」の論点における様々な識者の意見は、おおまかにいって

①これまでの資本主義は行き詰まっているから、「資本主義の次」を検討しよう

と考えるか、

②資本主義がまだ真の姿で実現されていないことが原因で課題が生じているのだから、「健全な資本主義」を早く実現しよう

と考えるかが、大きな分岐点となります。

日本が置かれた状況では、短期的には①の必要性はとても感じているものの、中長期の視点では、②の方向性は遅かれ早かれ必要になると考えます。

そして、「新しい資本主義」を巡る様々な意見は、究極的には①と②のどちらかのスタンスに整理でき、この思考方法は、多種多様な意見を「見通し」を持って俯瞰するためのモノサシとして有益です。

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